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特集 小さな挑戦者たち−木更津社会館保育園− |
「森のおまけ」
くじら組担任 古賀 琢也さん |
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私は新任ですが、先輩の保育士と共に5歳児の担任をしています。社会館保育園の年長児達は、「森・里山の保育」として年間50日程、森へ出かけ一日を過ごしています。子どもたちの関心や遊びは、森や自然散策を重ねるごとに広がっていき、彼らの目に映る景色や視野の広さも変わってきます。
子どもたちは、里山を散策しながら虫や草花に目をやり、木苺や桑の実を食べ、それらの味覚を楽しみます。暑い日には、休耕中の田んぼで泥んこ遊びをすることもあります。活動の拠点となる佐平館にはザリガニやドジョウがすんでいる屋敷池、マテバシイの大木の枝から垂らされた長いロープブランコ、冬になれば焚き火があります。里山の分園は死角も多く、必ずしも保育者の目が行き届かないところでも、子どもたちは主活動の合間、思いおもいに好きなことをして過ごします。「森・里山の保育」の魅力は、保育園の園庭とちがう「おまけ」があるのです。
ある男の子は、佐平館に着くと直ぐにザリガニ池に向かいます。ずっと池を覗き込んでいたかと思えば、友達と「あっちだ!」「あそこに逃げた!」とザリガニを釣ったり、ドジョウを捕まえたりしています。ご飯を食べた後も、保育士から「集合」の声が掛ってもぎりぎりまで粘り、飽きもせず遊んでいます。
森では、保育士が設定した活動があるものの、子どもたちの経験はそれだけでは終わりません。畑でジャガイモの種芋を畝に伏せ、野菜の種蒔きをするとき、その作業の最後までそこにはおらず、いつの間にか畑の脇へ行ってしまいオオバコ相撲で勝負をしていたり、虫を追い掛け回していたりしているのです。
森を散策していたとき、メンバーたちが先に行ってしまうのに、私がどんなに声を掛けても動こうとしない1人の子がいました。一体彼は何をしているのかと、私が近くに行くと、彼は「待ってました」とばかりに手のひらを広げ、その手の内を私に見せてくれました。手の中からは10数匹はいるだろうテントウムシ達が、次々にこぼれ落ちていくではないですか。くすぐったそうに、その様子を見る彼の心のなかには、どんな思いが浮かんでいるのでしょう。虫たちを、ありったけたくさん集めた高揚感、世界を独り占めしたような至福感、あるいはテントウムシたちと本当に友達になったという幸福感でしょうか。私は、保育者として先を急ぎたいという気持ちを持ちつつも、私の声を振り払ってでも自分の興味関心を満たしきった彼の表情から、とても深い幸せ感、満足感を感じたものでした。彼は全身でその事実を受け止めている。同時に、自然と共存していく上での微妙な呼吸、付き合い方も彼は学んでいる。更に、森の中で過ごすことには、さまざまな自己発見、気づきがあります。これらはまさにメインの活動の直接の成果ではなく、「おまけ」の知識、体験です。
森で過ごすことは、その様な「おまけ」を許し受け止められる余裕を、保育者の心にも与えてくれます。保育者自身の考えかたも変って行きます。森に行くことの「おまけ」の全貌はまだまだ見通せないと思うと、森を行く足取りも、「先を急がず」ゆったりとしたものになるものです。あなたにも未だ「おまけ」は残されています。自然は汲み尽くせないものです。
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