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母親たちの奮闘と医学の進歩 |
熊本大学小児科教授 遠藤文夫先生 |
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病気が見つかったきっかけは母親でした |
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フェニルケトン尿症は1934年にノルウェーで最初に見つかります(病気には初めてその病気であると気がつく専門家がいます。そのことを発見といいます)病気の発見者はDr. Asbjørn Føllingです。日本語ではフェリング先生と書くことにします(ノルウェー人の名前ですので正確ではないでしょう)。病気が発見されるのは大事なことです。発見されるまではその病気がどんな病気かわからずに、患者さんは正確な診断をつけてもらえなかったということです。診断がはっきりして初めてその病気の経過や治療の可能性がわかり始めます。フェニルケトン尿症も病気の人はそれまでも大勢いたはずですが、病気が発見されるまでは何の病気かまったくわからないままになっていたということです。
フェニルケトン尿症の発見が達成された背景には二人の知的障害児をもつ母親の熱意がありました。お子さんは6歳の女児と3歳の男児でした。この母親は自分の子どもが知的障害であることがどうしても納得できないで、担当の先生に何度も相談します。母親の熱意はわかるのですが担当医は病気がわからないのですから的確な説明をすることが出来ません。
対応に困った医師はフェリング医師(博士)を紹介します。フェリング先生は生化学と新しい科学の専門家の一人として知られていました。ただ今と違って診断のための設備がととのっているわけではありません。フェリング博士は何か出来るという各章もないままこの母親の熱意にうたれて何とか研究してみようと決心します。フェリング博士の専門は尿の分析です。それで尿の生化学的な検査をすることにしました。
尿の化学試験で陽性反応を示すものありました(ここではとくに第二鉄反応という試験が陽性を示しました)。この検査自体が専門的なものですが、フェリング博士はさらに検討を進めます。その結果、この患者さんの尿の中にはフェニルピルビン酸という物質が大量に含まれていることを知ります。普通の人は排泄していないフェニルピルビン酸というケトン物質のひとつが大量に排泄されていたのです。この事実を彼は突き止め、さらにこの患者さんの体の中で起こっていることを知るに至るのです。これがフェニルケトン尿症の発見でした。
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