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												| 母親たちの奮闘と医学の進歩 |  熊本大学小児科教授 遠藤文夫先生 |  |   
  
  
 
					
						| 治療を求めて病院に通い続けた母親 |  
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  さて、フェニルケトン尿症の治療の開発は英国バーミンガムの病院で働いていたドイツ人医師のビッケル教授によって1951年に開発されました。これにも一人の母親の力がありました。当時ビッケル先生は1歳5ヶ月のフェニルケトン尿症を診断します。ビッケル先生はこの分野の専門家でしたが、母親には治療法はありませんと説明しました。しかし女児の母親は治療法がないという説明を受け入れず、何とかして欲しいと何度も先生をたづねました。ビッケル先生とその仲間の医師たちは母親の熱意に打たれます。そこでいろいろと検討して食事中のフェニルアラニンを減らすことで治療が出来ないかと考えました。その考えどおり、この母親の望みは少しだけ叶い、女児の症状は改善したのです。少しだけというのは、治療開始が遅すぎたのです。  
  
  
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