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附)No.67/2003より
「子どもの心身を蝕む社会環境 NO.1」
こども心身医療研究所所長 冨田 和巳



母性社会と父性社会 (1)


 わが国の自然環境がつくる大きな特徴の中でも最も重要なものは「母性社会」になります。当然のことながら欧米は「父性社会」です。この概念こそ、わが国の社会現象を最もよく知るために必要なものです。そして、これを知ることで世界がしっかり見えてくるのです。このために「母性」「父性」の説明から始める必要があります。
(1)母親の重要性−母性性
 哺乳動物は母乳がなければ生きていけないので、出生直後から母乳をくれる母親が「何ものにも代えがたい存在」になります。その上、人間は「未熟児で生まれる」とか「10カ月の早産だ」とかいわれているように、むしろ母親の胎内にいる方がよい未熟な状態で生まれますから、生後1年間は母親と別の個体になっても心身共に一心同体が望ましいのです。この「絶対的に依存しなければならない母親」という刷り込みが人間にあることから、世界中の言葉で「大切なもの、恵みを与えてくれるもの」には自然に「母」なる枕詞を付ける「心」が形成されたのです。地球も国も勉強をする学校も大切なものなので、日本語で「母なる大地(地球)」「母国」「母校」と呼び、英語ではmother land、 mother country、 alma mater(語源はラテン語)になります。あるいは「母なる大河」というように、恵みを与えてくれる川などにも「母」が付くのです。
 残念ながら世界中でわが国だけが、戦後この自然の感情を否定して母国という言葉を無くし「自分の国は“悪”」と学校で教え続けました。このような教育を半世紀以上も行なっていると、母校も悪く言わなければならない思考が蔓延し、マスコミは何かあれば「学校叩き」に余念がなく、親も教師を尊敬しなくなりました。これは厳しく言えば教師が「天に向かって唾を吐いた」当然の帰結ともいえます。
 国の象徴である国旗や国歌を悪くいい、これで校長や教育委員会の幹部が自殺する事件(広島で顕著)が起こるのは、日本以外では理解されない「愚かな」教育界の現象です。さらに、この状況を擁護するのがわが国を代表する一流新聞なのです。母国を否定するような国は、侵略をし続けた西洋諸国にも、侵略され続けた非白人国でも、一国として現在も過去にも、日本を唯一の例外として世界に存在しないのです。
 閑話休題。女性は思春期を迎え二次性徴が出現し、異性を好きになり、結婚、妊娠、出産の生理的・環境的変化によって、自然に母性性が芽生えてくるように創造されています(フェミニズムはこのような自然の摂理を無視します)。子どもは生後、空腹や抱いて欲しい、おむつを替えて欲しいといった違った要求をすべて同じ「泣く」という表現で母親に伝え、ほとんどの母親が子どもの違った思いに適切に応じることで、子どもは自分の欲求や感覚の区別を覚え、表現方法が正しかったと思い、自分の思いを適切に表現することを学んでいきます。この「学習の積み重ね」を子どもができるようにするためには、愛情と信頼を基本にした初期の母子関係以外の何ものでもないのです。社会生活を送る人間にとって最も大切な能力は「自分の気持の表現」と、それによって作られる「対人関係」で、それがこの乳児期の母子関係で基礎が作られることは、いくら強調してもし過ぎることはありません。
 また、母親にとって腕の中のわが子は、いかなる能力をもとうとも、あるいは、もたなくても気にはならないように作られています。これを河合は「わが子はすべてよい子」と説明しています。もし能力差が気になると、母親は可愛い子、あるいはできる子だけを一所懸命に育てようとするかもしれないからです(被虐待児の発生にはこの母性の平等性が欠けている面があります)。
 この何ものにも代え難い大切な母親が、一方でいつまでもわが子を自分の手もと(腕の中)に置いておきたいと思う気持ちを強くもち、子どもの自立を妨げる怖さを同時にもっているのです。これが母親の子どもの成長を阻止するマイナス面になります。子どもの数が少なくなり、家事労働が楽になるにつれ、この悪い面が特にわが国では強くなってきています。
 山姥という民話の怪物は、山に棲んで里へ降りてきては子どもを食い殺すのですが、「母なる」大地の盛り上がった所(山)は、象徴的にいえば乳房になります。母性の象徴に棲む怪物というのは、母性の怖さを昔の人々も気づいていたことを示しています。
 更に困った問題は、わが国をはじめ先進諸国で、家事労働の軽減から母親に時間的余裕ができた上に、子どもの数の減少も加わり、さらに高学歴の女性が増加したこともあり、完璧を期する母親が増加してきています。彼女たちの多くは子どもの資質に関わらず「世間でいう立派な子」に育てたい一方的な思いで、技術的に教育(知恵・知性でなく知識重視)をしようとして、純粋な愛情よりも育児書を片手に、授乳時間や量を機械的に行ったり、子どもを調教的に育て、子どもが求める前から子どもの要求を満たし、早くから幼児教育ビデオなどを使っていきます。これでは子どもが自分の感覚を適切に自覚し、自らの欲求を表現することをやめ、知的意欲など無くしていって当然です。
 一方で、最近は育児よりも「自分がパチンコをして遊ぶ」から「家事よりも外で働くことが大切/面白い」といったことを優先したい母親が増加して、子育てを煩わしいと思う傾向も強くなってきました。これをあおっているのがフェミニズムです。このような母親にとって子どもは煩わしい存在になるので、子どもの欲求に適切な対応などできません。こうして、子どもは自分の表現に自信をもてなくなり、同時に適切な母子関係を構築することもできません。
 この二つの型(過剰と過少)の母親は正反対の対応をしながら、共に子どもの表現と対人関係を育てないのです。
(2)乳児期の環境(父親が与える環境)
 母性の山姥的怖さを切るのが父性、具体的にいえば母親の潜在的にもつ怖さを止めるのが父親の力であり役割でしょう(これは逆も成り立ち、父親のもつ潜在的怖さを止めるのが母親の役割)。現実には母親の知的/理性的なもので、怖さは制御されているのですが、基本的なことを理解するためには、ここで母親には父性がないと考えます。 子どもが大きくなり母親の腕の中では窮屈になって外へ出たいと思ったとき、飛び立つのを助けるのは父親で、象徴的には母親の腕を「切って」子どもを解き放ちます。
 子どもが何の心配も要らず、ぬくぬくした母親の腕の中から外へ出ることは、厳しい現実に向かうことで、これをうまくやり遂げるためには、自分の能力を客観的に把握させる必要があるので、子どものもつ優れたところと、劣っているところを認識させ、優れたところをさらに育て強化すると同時に、劣っているところを補う育児が必要になってきます。これは子どもの能力に差のあることを認めることで、母性の平等に対立する父性的育児になります。河合は同じく父性性(父親)を「可愛い子はわが子」といっています。ここでいう「可愛い子」というのはできる子、強い子という意味ももち、社会で力強く生きていけることを表しており、そのような子どもを父性(父親)がつくるという意味になります。
 母性はメスならば哺乳動物以外でも多くの動物はもっています。これがないと子どもは育たないので、生来のものですが、父性は極めて一部の動物と人間しかもたないものなので、社会化された後のいわば文化であり、それは努力して育てないと自然に芽生えないものになります。ここに基本的に父親による育児の難しさがあり、これから述べる母性社会の日本では特に難しくなるのです。最初に紹介した2枚目のポスターで私が疑問を呈した意味がおわかりいただけると思います。
(3)母性社会・日本と父性社会・欧米
 1.母性優位の日本
 一つの場(環境)である母親の腕の中で、わが子は「すべて平等でよい子」になるように、母性社会日本では、学校・学級・部活動・会社・地域など、それぞれの場の中では、すべての者が良きにつけ悪しきにつけ、暖かく包み込まれ平等化され、その場の平衡維持(変化をしないで、均衡を保つ)に最大の価値が置かれます。実際、日本ではあらゆる場合にすぐに「場」が作られ、「場の調和」を維持することが社会の最大の目的にさえなっています。この思考は義務教育では落第も飛び級もさせないことから、団体旅行を人々が好むことや、「同じ釜の飯を食った」「同窓だ」「同郷だ」といったことに特に拠り所を求める性癖にもみられ、未だに根強く残る家意識なども、血のつながった場を極端に大切にすることによっています。
 このように母性がわが国に強いのは、先に述べた自然環境が大きく影響しているのです。自然の防波堤で守られた国は、他の国に比べて格段に安全で、あたかも赤ちゃんが母親の腕の中でぬくぬく、いかなる心配もなく過ごしている状態に似ているからです。母国は常に安全であり「母なる大地」が絶対に存続する民族にとって、その思考が母性的になるのは当然であり、同時に国意識をもたなくても大丈夫だと思ってしまうのです。だから敗戦後の「母国が悪」なる米国による刷り込みが半世紀以上続く異常性も出るのです。
 さらに日本人が稲作民族であることが集団主義を生まれさせ、「個」は育ちにくく、変わった者は「村八分」に表されるように排除され、「全体の調和」にいちばん価値が置かれた社会がつくられます。個々の優劣よりも「和」が尊ばれる集団主義の社会環境なのです。つまり集団主義・母性社会がわが国の最大特徴になります。
 2.父性優位の欧米社会
 世界中のほとんどの国は陸続きで、日本のように四面が海に囲まれた安全な国でなく、母なる大地・母国はいつ隣の国から攻め込まれるか判らないので、ヨーロッパ諸国は戦争の連続が歴史になっています。現代でも、旧ソ連崩壊後の旧ユーゴでの長い紛争がそれを顕著に示していますし、アフリカ各地で続く民族紛争も同じです。ここから常に力で母国を守る強い国を目指す思考が出現して不思議でないのです。英国は日本のように島国ですが、同国内でスコットランド人は英国人でないと主張することや、北アイルランドの長期に続くテロ事件などがこれを示します。
 さらに、西洋で主流をなしたのは狩猟(遊牧・牧畜)民族で、彼らは野山を駆け回り、他人の知らない・居ない場所を探して獲物を取り、農耕に比べて生産性が低いので、他の者が入ってくることを排除する習性を身につけてきました。獲物の豊富な場所を見つけた「優れた個」に最大の価値をおき、後から来る弱い者を追い出し、強い者が利益を得ることが基本にされてきた民族なのです。その上、狩猟は罠を仕掛けることも大切で、騙される方が悪いという思想も生みます。日本のすべてを温かく包み込む母性が支配する社会と根本的に異なった厳しさが基本になることを、もう一度理解してください。
 3.父性の乏しい環境/現代日本社会
 母性の強い精神風土のわが国では、母子の結びつきが強くなり、家庭で父親の存在が希薄で弱い傾向になるのは当然で、父親が子どもに父性性を与えられない傾向にあります。 わが国ではしばしば「昔の男は強かった」といわれていますが、それはこの母性性の強い風土の中で、為政者が秩序ある統治体制を作る目的で、封建制度・家父長制・武士道、あるいは決して誉められたものではないが男尊女卑思考という「つっかい棒」を男に与えていたからなのです。これによって男に「見せかけの強さ」を与え、家庭の秩序を整え、子どもたちへの父親による教育をうまく行えるようにすることで、社会の秩序を保ってきたと考えます。子育てが大家族の中で、父母だけに任されていなかったことや、子どもを囲む状況も現代社会に比べて複雑でなく、将来に対する職業選択も、生を受けてすぐに決められていたことなども好都合に働いたようです。このような状況がある種の厳しさを家庭で父親に与えると共に、社会の秩序も守られていたのです。
 しかし、現代は子どもを囲む状況がかなり変わった上、「つっかい棒」が民主主義の名のもとにすべて取り外されてしまったことにより、母性性の強いわが国では弱い父性性がますます乏しくさせる状況を出現させました。現代日本社会の子どもにとって、社会化に失敗(不登校など)する最大の問題はこの点にあるのです。繰り返しますが、先に紹介した厚生省のポスターが問題なのは、このような文化の国だからです。あるいは、このような国だからあのような図柄で誰も違和感をもたないといえるかもしれません。
 4.母親と子どもの心理的距離0の弊害
 父性性が与えられない場合、乳児期の心理的距離0に近い母子関係がいつまでも続く傾向になります。家庭では夫婦関係よりも母子関係が重視されていきます。そして、母子関係に入れない父親は弾き出され、自分の母子関係、つまり祖母(子どもからみた)と心理的に0に近い状態に戻っていくことが多くみられます。逆にみれば、父親に自分の母親(祖母)との結びつきが強いので、妻である母親が夫婦関係よりも子どもとの結びつきを強めるともいえます。いずれにしても、夫婦の結びつきよりも親子の結びつきが強いわが国では、父親は精神的に職場の仲間と安住する図式(擬似家庭)ができあがります。これが日本での仕事人間増加の最大要因であり、日本の経済成長を押し進めてきた一因であると私は考えてきました。仕事人間の父親は「家のことは女房に任せる」といって威張っていても、実際には家庭に心理的に居場所がなく、「父親」として子どもへの教育を放棄し、職場に居すわってしまうだけなのです。あるいは先に述べたように、妻が夫への関心を払わずに、母親として子どもに没頭することで、夫をそのようにさせている面があるのです。
 母性社会で父親に父性性を与えるには、母親も父親も共にこのことを意識しなければなりません。父親による家庭教育への参加は、フェミニズムのいう「男性も育児を」ではなく、父性性を強くもった子育てを父親が担うことなのです。最近の家庭第一の若いパパは父性的に家庭に居るのでなく、まさに妻とわが子に「嫌われたくない」からで、これでは問題解決にはなっていません。むしろ、さらに新たな問題が出てくるのです。 わが国の自然共存思考による文化の特徴、特に母性社会の特徴を理解した後には、どうしてもわが国の歴史をみていくことになります。それはわが国の戦後教育では「自分の国ほど悪い国はない」と半世紀以上にわたって教えられたので、ほとんどの人々が自分の国に誇りをもたないで、卑下ばかりしているからです。これが北朝鮮の拉致事件にまともな対応を20年以上もしなかった原因です。この状況が国益を損なうだけでなく、子どもの未来を暗くし、何よりもどこか自尊心の無い人間を続々生産しているのです。人間にとって何よりも大切なものは自尊心です 。




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