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附)No.67/2003より
「子どもの心身を蝕む社会環境 NO.1」
こども心身医療研究所所長 冨田 和巳



現代社会


(1)子どもの社会的問題
表3 現代的な子どもの問題を私は大きく二つに分類して考えています。すなわち表8に示した米国に十数年から数年の遅れで日本でも出現した現象と学級崩壊と援助交際など、他の国に例の無いわが国独自の現象の二つです。また不登校のように原産地(?)以上に激増したものも、現在ではわが国固有の問題とみてよいでしょう。前者は欧米社会に出現した後にわが国に現れた点から、欧米型先進国に共通の子どもの問題と解釈でき、後者はわが国にのみ出現していることから、わが国固有の問題として考えなければならないのは当然です。この現象差はこれまで述べてきた自然・歴史・文化の違いからきているのは当然です。
 小学1年生のクラスから授業が成り立たない「学級崩壊」は、かつて勉学に熱心であった世界に誇る国にあるまじき現象であり、子どもの精神的発達から考えても、理解しがたいことなのです。「子どもの自由/権利、自主性を尊重して育てる」“民主的”思考が、実は「わがままで責任・義務・秩序を知らない」、つまり適切な躾をされていない子どもを家庭が学校に送り込んだ結果です。
 また、「援助交際」と呼ばれる小遣い欲しさと好奇心で少女が売春する国も世界でわが国だけです。さらにそれを肯定する社会学者や、これに同調するマスコミが存在することも、おそらく他の国では考えられない現象でしょう。この「世界に類の無いわが国独自の現象」は、すでに子どもたちがかなり蝕まれつつあることを示し、わが国の未来を限りなく暗くしています。
(2)子どもを取り囲む環境
 人類は昔から少しでも物質的に豊かな環境を作ろうと努力をしてきました。結果的に、それを実現したわが国を含む欧米型先進国が、子どもの問題など精神的に貧しい環境を出現させたといえないでしょうか?最初にわが国で特に顕著な4点をあげてみます。
 1.母性社会の行き過ぎ
 [1]安易な(歯止め・節度の無い)時代
 母性社会では父性的に「切る」思考が乏しいので、何も彼もが漠然と大きく包み込まれ境界や枠がなくなりがちですが、物質文明の隆盛で何でも手に入るようになると、歯止め・節度を無くした社会を出現させました。厳しい・貧しい時代では、我慢しなければならないことが多かったので、歯止め・節度は自然に働いたのです。
 例えば、隠れて後ろめたさを感じながら場末の映画館で見るポルノは、それなりに「やましさ」を感じることで、必要悪であり好ましくないことであるという歯止めがかかります。しかし、今やポルノビデオを自宅の明るい部屋のテレビで見ることが可能になることで、幼児を膝の上に座らせて見る父親の出現になり、「ポルノ育ち」とでもいうような子どもが出現しています。未成年者が喫煙するのを禁止しても「陰で吸うから」と許すのが民主的と思うパパは、陰で吸うことがわかっていても禁止して叱ることで、子どもに社会規範が入っていく躾が理解できないのです。このような状況が小学校に行けば、少し嫌な時間でも1時間弱は我慢して席に座って先生の言うことを聴くということのできない子どもから、今や小学高学年から「援助交際」に走る少女を生んだのです。援助交際は暴力団が関与することも多いので、小遣いの裕福になった少女が麻薬に手を出すために、女子中学生に麻薬が広がり始めているおまけまで付いてきています。
 子どもに社会には一定の道徳や規則があるとしつけること(父性的)が、わが国では少しずつみられなくなっているのが現状です。
 [2]子どもに迎合する社会・日本       
 わが国の母性社会は基本的に子どもに優しいのですが、ここにも物質的に豊かな時代が重なると、子どもを甘やかすことを通り越して、迎合する風潮が出てきます。これをよく表しているのが最初に紹介したJRのポスターです。「子ども文化」「子どもに教えられる」といった言葉があちこちでみられるようになったのも、迎合のように感じます。かえって現代では子どもを不幸にしていっているように思います。
 不登校が増加してくると、文科省は大学検定試験(大検)を年2回実施することをはじめ、「勉強らしいことをしなくても」高校卒業資格を与える各種の簡便な学校(バイパス校と呼んでいる)を許可するので、今や、「高等」教育を実質的に修めていなくても高卒の資格がもらえるのです。最近では「学校に行かない権利/選択」といった言葉まで言われ始め、学級崩壊も生徒数が多いからといった見当違いな論が出るなど、いずれも子どもへの迎合なのです。
 昔の貧しく厳しい時代では、子育てに適切な厳しさ(しつけ)を与えるので、母性社会の優しさがうまく機能して、父性社会の欧米よりも子育てはうまくでき、結果的に子どもは幸せだったのです。
 2.仮想現実(バーチャルリアリティー)の隆盛
 平成9年に世間を震撼させた神戸のA少年事件で特に指摘された仮想現実(ビデオ)の怖さも大きな問題です。以前から映画という仮想現実はありましたが、映画館という特別な場所で限られた時間に観るのと違って、子どもたちは日常生活を送っている家庭で、長時間、仮想現実の世界に浸ることができるようになったところに問題があります。幼少時からテレビ・ビデオで育ち、自然に触れたり群れをなして遊んだりする機会が乏しく、テレビゲーム、インターネット、携帯電話の世界にのめり込む子どもは、友達と実体験・実感としての感情の揺さぶりを受ける経験が極めて乏しいなかで成長していきます。さらにほとんどの仮想現実は一方的に強烈な刺激を子どもに与え続ける欠点ももっています。現実との境界があやふやで、実体験を伴わない、あるいは実感をもたない子どもが多くなっているのです。子どもは群れをなして自由に遊びながら異年齢の仲間から実体験としての刺激を受け、それに対して自分の感情も表現して対人関係を学んでいくのですが、現代ではほとんどできない状況におかれています。
 さらにかなり以前から指摘されてきたことですが、現代ではほとんどが核家族で、子どもの数も少なく弟や妹の誕生や祖父母の死にめぐり合う機会も乏しく、それらが家庭の外(多くの場合、病院)でなされていることから、子どもの前から「生」や「死」の身近なところでの体験が失われています。このため、人生の始まりと終わりという極めて厳粛な体験を子どもは知らずに育ち、あらゆる体験はテレビ画面やゲームの中だけで仮想的に感じるだけになってしまっています。このため、最近の子どもが「死」を実感できていないので、「命の大切さを教える」というような言葉が教育界でよく言われ始めています。しかし、生物が本能的にもつものを教えなければならない矛盾こそ、人間が自然征服を極端にまで試みた西洋文明の悲劇であり、そこにメスを入れないで意味不明な言葉を使っていては何も解決できません。
 3.不況がつくる子どもを目標にした商業主義の弊害 
 平成不況で消費が伸びない各企業は目標を子どもに絞り、子どもに甘いわが国の親の財布を狙って商品開発を行っています。世界に独創的商品を次々と提供した企業も子ども向けのゲーム機で黒字を保ち、携帯電話は子ども好みの付属機能を付けることで、本来の機能以外で生産を伸ばし、「不要な会話」による通信費で業界が潤っている現実には愕然とします。次から次に発売される子ども向けの高価で精神発達には負の効果しかないような多数・多彩な電子機器や、学校現場も市場と考えて、パソコン教育を小学校からさせようとする勢力など、我慢のない・実質の伴わない・反射神経と無駄な知識だけを詰め込んだ子どもを大量生産していくわが国の現状に気づかなければならないと思います。
 4.第4の権力・マスコミがつくる世論
 私たちは国の内外を問わず、マスコミを通じて情報を得ています。最近はインターネットもその一端を担っていますが、いまだに主流は新聞・テレビですから、多くの者は知らず知らずのうちに、マスコミ主導の思考になっていきます。
 新聞社にとっては販売部数が最も重要であり、テレビ局も視聴率に一喜一憂しています。つまり「公器」「公共性」などといわれている新聞・テレビも、実質は「売らんかな」の商品であり、欠陥商品や不要物であっても、消費者の好みに合わせて上手に宣伝して売れればよいのです。何しろ他の商品だと不良品や不要なものはマスコミが攻撃しますが、自らを絶対に攻撃しないし反省もほとんどしないので、ある意味で「己の望むまま」に振舞っています。特に新聞はほとんどの人が1紙だけを読みますから、特定の国に気に入られるために報道を曲げて種々の虚報を流し続けるような新聞でも、多くの読者は信じています。少し鋭い目をもち冷静に読めば、日本人の民族性に合わせて情緒的・口先の優しさ(偽善)・知的風に脚色された新聞が最も好まれ、わが国の代表になっていることがわかります。これが現代日本社会なのです。現代はまさに第4の権力といわれたマスコミが最大の権力になって、政府をも動かしかねない力をもっている怖さも熟知して、私たち一人ひとりが賢くなり、物事の本質をみる目をもつ以外に、子どもに素晴らしい未来を残せないのです。  
(3)米国の子どもの現状
表4 先に母性社会・日本の現状を述べましたので、多くの子どもの問題を輸出してきた父性社会・米国の現状を表4に示しました。これをみると、不登校やいじめ以外のいわゆる反社会的行動や親の虐待などが、米国では桁違いに多い現状に驚きます。これからこの寒々とした米国の家庭や子どもの悲劇がなぜ出現しているのかをみていきます。  
(4)欧米型・先進国の問題     
 西洋(キリスト教)文明は、アダムとイブが禁断の木の実(リンゴ)を食べた罰として、苦役として労働が課せられたので、労働は卑しいもの、したくない思考が強く出る文明です。したがって、西洋文明は少しでも人間の仕事を減らすことを最大の目標にして産業革命に突き進んだとも考えられます。産業革命後、工業中心経済が長く続きますが、60年代から脱工業化時代、つまり「物を作る」ことより「流通や情報」に価値を払う情報化時代に入りました。これによって肉体労働から頭脳労働が重視されることで、女性の社会進出も容易になってきます。
 女性の社会進出に加えて、産児制限による子どもの計画的出産、更に公衆衛生の完備や予防接種・抗生物質など薬剤の進歩などで、人間の寿命が延びることが加わると、家庭・子育ての価値観が大転換を迎え、私たちが大切に考えていた家族の繋がり(血縁関係)や未来を担う子どもへの養育がしだいに軽視されるようになり、極端な場合にはそれが否定される気配(フェミニズム)も見えてきました。これが社会資本の崩壊を招き、欧米で犯罪率・離婚率・婚外子(私生児)出生率が増加しているとフランシス・フクヤマが「大崩壊の時代」(早川書房)で指摘しています。
図5
 図13−i〜iiiは同書から転載したものですが、犯罪率・離婚率・婚外子出生率が共に欧米で1960年代から増加していることを示しており、日本のみが対照的に減少か増加がゆるやかです。60年代は米国が黄金の時代といわれ、米国の誇る民主主義・個人主義が極端化して、個人の自由・権利の主張・旧来の束縛をすべて取り去るのが素晴らしいとするヒッピーに代表される運動が生まれています。このとき少しずつ社会に問題が出始めていたことが表から知ることができるのです。わけても「女性を弱者と決め付ける」フェミニズムイデオロギー(当時はウーマンリブ)は、母性的育児の放棄を勧め、先の家庭・子どもの悲劇を生んだのです。
 確かに洋の東西を問わず、社会は男性中心に営まれてきた上、欧米は父性社会なので、男性に有利な社会であったことは事実ですが、そこから生まれた「女性は虐げられた」存在であると考える発想は、社会運動としては意味もありますが、極端化すると社会資本を無くす方向に向かうのは明らかです。 
 人間が送る家庭・社会生活は、基本的に「団体生活」ですから、個人の自由をある程度は制限し、我慢することで人間関係を円滑に運ぶのです。まさに仏教で諭す「生かされている」精神に通じるのですが、欧米流の個人の自立・権利を主張し過ぎると、自分本位になり他人との協調性が家庭でも社会でも損なわれていきます。好きなようにくっついたり離れたりできる関係(ヒッピーが代表)は、結果的に孤独感や迷いを生み、それが殺伐とした社会をつくるようになったのです。日本のように自殺を美化しない米国で、若者に多くの自殺がみられるのも、この悲劇を示しています。
 欧米型先進国のわが国は、何かと米国の後追いをしていますが、家庭・子どもの悲劇がこれでも極端に少ない点をフクヤマは同書で「なぜ、日本では低いのか?」と疑問を呈しています。これこそ自然と共存し、血縁主義(家族主義)・集団主義の母性社会が「家庭の健全性と子育て環境の善さ」をかろうじて残しているのです。欧米の思考からすれば泥臭く保守的で伝統的家族(血縁)関係を重視することは「封建的・古い・不合理的」思考・文化になり、民主主義も芽生えなかった後進地帯になりますが、そこには現代欧米主導の社会がもつ「自然破壊思想・文化」が創りだした社会資本の崩壊を多少とも防ぐ作用が働いていたのです。
 わが国でも被虐待児の増加や少年凶悪事件の増加が叫ばれていますが、欧米の比でないことに思いを馳せて、私たちは家庭や子どもの問題をわが国の民族性からじっくり見据える必要があります。また、「福祉と性の開放」の国スウェーデンは、世界一の犯罪率と婚外子出生率(生まれる子どもの10人に7人が婚外子)になっていることも示されていますから、わが国のスウェーデンを理想的に扱う一部のマスコミや学者は完全に誤った方向に国民を導いています。
(5)フェミニズムの脅威
 米国で60年代頃から言われ始めた「ウーマンリブ」は最近「フェミニズム」あるいは和製英語で「ジェンダーフリー」などと呼ばれて、学校教育の場を中心に、まるで理想のように言われ、実行されています。男女混合名簿の採用だけでは止まらず、最近では「女男混合名簿」と呼ぼうとか、男女を同じ「君」付けで呼ぶ、学芸会で男女の役を入れ替えるなどが、本気で“善い”ことのように教師が行なっているのです。フェミニズムの最も盛んな米国で家庭や子どもの悲劇が激増している現実をみれば、このイデオロギーは最も注意しなければならないのものですが、このような意見は一部の女性からの攻撃を恐れて沈黙しています。
 「家庭の外で働くことで社会参加が可能で、家庭に居ると“自立”していない/男に従属している女」「家庭で子どもと向き合っていると閉塞感がある」「専業主婦は害虫」などという声は、家庭や子育ての本質をみない愚かな、米国で失敗が証明されているイデオロギーなのです。次の社会を担う子どもを育てることほど「社会的」仕事はないといことが判っていないのです。オーケストラは異なった楽器の音色や、異なった旋律・音階を弾く/吹く/叩くことで「妙なる調和」をかもし出し、すべての楽器が平等に同じ音を鳴らして音楽は成り立ちません。同じように家庭でも社会でも男女は特性に応じて異なった役割をすることで「共同」「助け合える」のです。林道義はフェミニズムの言い分は「物事の真実を見ない浅はかな『フェ理屈』」と喝破しています。
(6)米国の試み・立て直し
 米国の家庭や子どもの惨状は為政者にも危機感を持たせ、十数年前から政府も種々の取り組みが行なわれています。テレビで大統領夫人が、あるいは一般教書で現職の大統領自身が家庭生活や子育ての大切さを訴え、例えば「子どもに家庭で親が本の読み聞かせる」ことを勧めています。いずれも20年ぐらい前までの日本では普通の家庭でよく見られていた光景ですが、赤ちゃんを一人寝かせ、ベビーシッターに子どもを預けて夫婦で出かける文化の国では「していなかった」子育てなのです。これらが子どもや家庭の不幸を生んだと、米国でも為政者や良識ある人々は気づいたのです。
 97年には、とてもわが国ではできないような大規模な全国調査を行ない、思春期の子どもの情緒不安・自殺・暴力行為・薬物使用・性行為などは、「子どもと両親や家族、あるいは学校との関係が好ましいほど、ほとんどの問題行動を防止している」「学業成績に関心のある家庭では問題行動が低い」「子どもの自尊心・宗教心などが、問題行動を防いでいる」「両親が子どもと家庭に居る時間や家事手伝いを子どもにさせることの重要性」といった、極めて当たり前の古い価値観による家庭・子育ての重要性を証明しました。更に驚くべきことは「子どもの初体験に両親が批判的であり、ピルを許さない家庭の方が性体験は遅れ、若年妊娠も減少する」という結果も出ました。
 家庭や子育て/教育というような「先人の智恵を大切にし教える」行為は保守的なもので、米国では古いピューリタン的家庭、あるいは日本的家庭のあり方や子育てこそが、青少年のあらゆる問題を防止するという単純な結論を米国が大規模な調査から引き出したのです。あらゆる意味で世界の最先端を行く米国でこのことが証明されたことこそ、私たちは注意を払うべきであったのですが、残念ながらほとんど注目されませんでした。
 98年には女性家族カウンセラーと女性弁護士が、凶悪事件を起こした少年と収監中の成人の生育歴・家族歴を調べ、寒々とした乳幼児期から思春期までの家庭環境を浮かび上がらせた「育児室の亡霊」いう本を著し、ベストセラーになりました(日本語版は毎日新聞社から発刊)。同書は最近の脳医学の所見も加えることで、「受胎時から33ヶ月が子どもにとって最も大切であり(同書では妊娠期間を9ヶ月と計算しているので、33ヶ月−9ヶ月=24ヶ月で、この結論は「受胎したときから2歳まで」になる)、優しい子育てのできなかった」米国の悲劇と結論しています。 彼女たちは言及していませんが、これこそ父性社会の行き過ぎによる惨状で、わが国の母性社会の行き過ぎとは質の違いがあるものの、それ以上に怖い母性の乏しい社会、自由や個人主義、あるいは民主主義やフェミニズムの害毒を指摘しているようです。
(7)日本の諺と米国の知見の一致
 しばしば子育てで引用される「三つ子の魂、百まで」という有名な日本の古い諺は、昔の数え年を使っていた頃の諺なので、三つ子は満年齢では二歳になり、数え年は生まれた時が一歳になります。先の「育児室からの亡霊」の結論「受胎から2歳までの育児の重要性」は、既に昔のわが国で気づかれ、諺にまでなった警句に完全に一致することがわかります。人間が人間らしくなる二歳までの、主に母親によってなされる「母性的育児」が大切であり、それがその後の人生をほとんど決定することは洋の東西や時代を問わないことを教えてくれているのです。母性社会のわが国では昔から気づかれていたことで、母性の乏しい米国では、最近の子どもの絶望的な状況と医学的データを積み重ねて、やっと気づいた違いが、先に種々ご紹介した家庭や子どもの不幸の日米差になっているともいえるのです。
 残念なことに現代では専門家までが数え年の文化背景に思い至らないで、満年齢と数え年の違いを認識せず、「三つ子」を三歳と解釈し「三歳児神話」などと、この素晴らしい諺を第一反抗期にからめた解釈をすることで、先人の残した真意を汲み取っていないばかりか、ご丁寧にも「三歳児神話の崩壊」(平成10年の厚生白書)という誤った宣言でフェミニズム思考の人々に、「母親が育児をする必要がない」というとんでもない発想を広めさせるのに一役買ったのです。
 人生の最初に与えられる母性的育児の何ものにも代えがたい重要性を再認識して、わが国にわずかに残る健全性を無くさないような指導・助言を幼児を預かる方々は心がける必要があると同時に、親自身が気づく必要があります。
 ここまで、欧米の文化とそれに影響されたわが国の子どもの問題をみてきましたが、最後に、これらの問題を生んだ元凶である戦後“民主的”教育に、鋭いメスを入れる必要があります。




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