2.新生児マス・スクリーニングは米国で始まった
生まれたばかりのすべての赤ちゃんを対象に検査を行い、病気が発症する前に発見するという「新生児マス・スクリーニング事業」は、フェニルケトン尿症(Phenylketonuria、しばしばPKUと略称される)という先天性代謝異常症の早期発見を目的に始まりました。フェニルケトン尿症は、乳児期に発達の遅れやけいれんなどの中枢神経症状で発症する疾患で、その研究の歴史は古く、1934年に発見された疾患です。患児の尿中にアミノ酸の一つであるフェニルアラニンの代謝物であるフェニルケトンが大量に排泄されることからこの病名がつけられました。この病気の本態は、フェニルアラニンを代謝し、別のアミノ酸であるチロシンに転換させる酵素の先天的欠損症であり、その結果全身に大量のフェニルアラニンが蓄積することにあります。その後、1953年ドイツのホルスト・ビッケルが食事中のフェニルアラニンを制限することでこの疾患を治療可能である事を示し、フェニルアラニン制限食による治療に道を開きました。このフェニルアラニン制限食は早期に開始すると知的障害を完全に防ぐ事ができます。しかしながら、当時は中枢神経症状が出てから診断されていたため、治療開始が遅れ、知的障害を完全に予防することが出来ませんでした。
この「早期治療のために、どうやったら早期にこの病気を診断できるか?」という問題を解決したのが米国のロバート・ガスリーでした。ガスリー家には知的障害を持つ次男がいて、親族にフェニルケトン尿症の女児がいたため、フェニルケトン尿症の早期診断・治療による知的障害を防ぐ方法の開発に大きな興味を持っていました。微生物学に造詣の深かったガスリーは、フェニルアラニンが大量に存在しないと増殖できない特殊な枯草菌(細菌の一種)に注目し、これをフェニルケトン尿症の診断に利用することを思いつきます。実際には、フェニルアラニンに依存して増える枯草菌を含んだ寒天培地を準備し、赤ちゃんの血液をしみ込ませたろ紙から3㎜径の円形片を打ち抜き、この円形片を寒天培地の上に置きます。フェニルケトン尿症の赤ちゃんの血液ろ紙の周りには大量のフェニルアラニンがしみ出るため、枯草菌は盛んに増殖し、寒天培地上に白い菌の塊が形成されます。一方、この病気で無い赤ちゃんの血液ろ紙の周りにはフェニルアラニンが小量しかないため、枯草菌は増殖できません。A4版のノート程の大きさの寒天培地には、何十もの血液濾紙の円形片を置くことができ、一度にしかも簡便に沢山の検体を調べることが出来るため、新生児マス・スクリーニングが可能になりました。1960年のことでした。血液濾紙を用いるというのも卓越したアイディアで、血液を濾紙にしみ込ませて乾燥させることでフェニルアラニンは室温でも安定に存在し、しかも血液検体の採取や輸送が非常に容易になったことも見逃せません。
この画期的な新生児マス・スクリーニング方法は、開発者にちなんで「ガスリー法」と呼ばれています。当時の米国には既に特許制度が存在し、発明王エジソン(1849~1931)は沢山の特許を取得した話は有名です。ガスリーはこの素晴らしい発明に対し、特許を申請する事はありませんでした。逆に、多くの学会に出かけていってはこの方法の詳細を説明し、この方法の普及に尽力しました。1962年マサチューセッツ州でフェニルケトン尿症スクリーニングが開始され、その後米国だけで無く、世界中で実施されることになり、多くのファニルケトン尿症の赤ちゃんの早期発見・早期治療を可能にし、知的障害の発症予防に貢献しました。ロバート・ガスリーの私利を排した研究姿勢と情熱は多くの人々の尊敬を集め、その生涯は「RobertGuthrie The PKU story — A Crusade Against MentalRetardation(知的障害に立ち向かった十字軍)」という伝記にまとめられています。