4.総合討論(3)

前川古野先生への質問は、どうでしょうか。

古野どこからいきましょうか、というぐらいたくさんいただきました。

一つは、コンピューターやスマホを使わないわけにはいかない時代になっているから、それをどうしたらいいのかというお話があります。子どもに関して考えるときは、まず保育園関係の皆さんはちゃんと知っているはずの子どもの発達段階の話を、きちんとベースに置かないといけません。これが吹っ飛んじゃっているわけです。どうせスマホは使わせるのだから、早く使わせたほうがいいでしょうといって、0歳、1歳から使わせていることがまずいわけです。

「何歳だったらどういうメディアを?」というのは、おおよそ発達段階を基準に考えると答えが出てきます。例えば、アメリカや日本の小児科医会が、1歳半から2歳まではテレビを見せないほうがいいですよと言っているのは、それこそ仮想と現実、画面の中の出来事と現実の区別がつくかどうか。この区別がつくようになっていないと、テレビの中で何が起こっているかわからない。単なる光の刺激でしかないわけです。見せる意味もないし、さらに、目の発達や認知の発達に悪影響があるということなのです。それらが発達している過程で見せることはNG。ということは、仮想的に見るものに関しては全部NGになります。結果、スマホやゲームも全部NGになってくるわけです。

もう少し進んで、「ではゲームは?」となると、ゲームというのは今度、現実と空想の世界の区別がつく段階ということ。これがはっきり区別されていないと、使ってはいけない。

もう一つは、ゲームは依存性が非常に高いです。やり始めるとやめられなくなるという依存性が高いので、それを我慢できるだけの自制心が育っていないといけない。それは、自分でちゃんとお約束をして、自分のお約束を守ろうという努力ができること。それは恐らく8歳から10歳ぐらいです。

ゲームをやっていいかどうかというわかりやすい区別は、私は、サンタさんをやたら疑う歳、あれが境目だと言っています。子どもにとって最後までとっておきたい空想の世界、ファンタジーの世界がサンタさん。それをいよいよあきらめるのが、サンタさんを疑うあの歳なんですね。それは8歳から10歳です。だから、ゲームをやらせていい年齢というのは、本当は8歳から10歳なのです。そう考えると、いかに早くゲームをやらせているか、なんですね。

では、「スマホとかネットは?」です。私は、「社会の大人のドロドロした世界を見せてもいいと思える年齢」と言っています。実際そうですよね。ネットに触ると社会のドロドロしたところがいっぱい見えます。

最近の話題で言うと、「エルサゲート」というのをご存じですか? 「アナ雪」のあのエルサというキャラクター、要するに、ディズニーのアニメだとか、そういう一見子ども向けに動画が始まるのだけど、途中からエロ・グロに変わっていくわけです。これは内容の問題です。この間、新聞にも取り上げられていましたけれども、そういうことをきちんと規制すべきだという論調でした。しかし、それはインターネットの本質を理解していないです。インターネットというのは、最初からそんなものが混在している社会なんだということ。だから、YouTubeを見せることとビデオを見せることは、全く意味が違うのです。ビデオは親が内容を吟味して見せることができます。YouTubeはそれができないのです。

まず、見ることだけでもそうなんですね。ましてや社会に対して働きかけができます。社会に対して責任が生じるのです。それを考えたときには、社会に対して責任が負えるような年齢。見るだけなら大人のドロドロした世界をわかる年齢。これは多分、中学校3年か高校1年ぐらいだと思います。さらに責任がとれるとなったら、18歳以上ですよ。だから、本当にネットをちゃんと使えるというのは18歳以上です。大人が補助してというところまで制限をつけても、10歳前後ぐらいまで下げられるかどうかというところです。

そういう意味で言うと、スマホを乳幼児が使うなんてことはあり得ない話なのです。それに関しては、もう「あり得ない」でいいのです。とにかく発達に対していろいろな面に悪影響が及びます。今日お話があった愛着のこともそうです。視力のこともそうです。現実の認知のこともそうです。それから、社会に対するものの見方、大人に対するものの見方、そういったありとあらゆるところが歪みます。見せていいことは一つもない。使わせていいことは一つもないです。

さらにスマホには、操作が入ります。指先を使って操作をするということで、指先の発達にも悪影響が出る。運動機能にも影響が出るということが、じわじわデータが出てきています。

そういう発達のことを考えれば当たり前のことなのに、そのことを知っている皆さん方が、「いや、でも、社会ではそれが当たり前だから」と言ってしまうことが問題なのです。流れ、風潮を変えないといけないです。「でも、子どもの発達段階から言ったら、それはやっぱりおかしいんですよ」と、発達を知っている私たちがそれを言わなかったら、誰も言ってくれないです。

もう一つの質問で、例えば、「鬼から電話」をつくっている企業はどう考えているのか。ベビーアプリをつくっている企業はどう考えているのか――善意でつくっています。すごく良い人たちがつくっています。私もコンピューターのアプリをつくりましたからわかりますけれども、一生懸命考えてつくっています。

ただ、残念なことに、子どもがどのように発達してくるかということをちゃんと勉強している人はいないです。製品が子どもに対してどんな影響を及ぼすか、そこに対して意識があるコンピューター技術の開発者はほとんどいないです。もしいたとしたら、辞めて人前でその問題点をしゃべっていると思います。私のことですが(笑)。やってられなくなっちゃいました、ということなんですね。

だから、ちゃんと発達のことを考えて話をするということにまず土台を置いてください。そうすると、皆さんから出てくる言葉が違ってくると思います。お母さんが、「家事の忙しいときに、YouTube、どうしても欠かせないんだよね」と言ったときにどう答えるか。「そうだよね。しようがないよね」と言うか、「いや、それは赤ちゃんには悪いんだよ。でも、大変なのは本当だよね。その大変なのをどうするか、一緒に考えようよ」と言うか、という違いになってきます。

皆さんが土台をどこに置くか、そこがとても重要なことだと思います。