2.ふれあい保育の実際(9)

近年、発達障害のことがたくさん取り沙汰されています。皆さん、たくさん研修も受けられているでしょうし、勉強もされているでしょうけれども、何がADHDだとか、何が自閉だとか何とか、学んだことを一旦忘れてください。グルグル回る子は回る刺激が気持ちいいわけですから、「どうしたら回るのをやめさせられるか」ではなく、「回るのは楽しいんだねえ」「ほかのことは回り終わってからでもいいかな」というふうに考えられないでしょうか。

裸足で外が歩けない子。どうして裸足で歩けないのか。それに慣らすということよりも、本人にとっては剣山の刺激かもしれませんので、それを理解することが大切です。

じっと座って紙芝居が見られない子。じっと座ってそこで紙芝居を見なさいというのは、こちらの都合です。ブランコの上で揺られながらなら見られるのか、何か他のことが終わった後なら見られるのか、どうやったら紙芝居を楽しめるかということを、その子と一緒に考える人はきっと保育士の皆さんしかいません。相手の都合を考えたつきあい方というのがきっとあるのだろうと思います。

濡れることが嫌いな、障害を持っているある成人の人がいます。その人は、シャワーを熱くして、「熱さ」で濡れる刺激を消していると言います。自分でどうすればうまくいくかという、スキルを手に入れていくということが大切です。

病気の診断がつくまでは、「○○ちゃん、心配ね。病院へ行ったほうがいいんじゃないの?」「○○ちゃん、心配ね。誰か専門の先生に会ってみた?」ということを一生懸命心配してくださる人たちが、病院に行って診断名がつくと、「ああ、やっぱりそういった病気があったのね。じゃあ、私たちの手に負えないわ」と、クモの子を散らすようにその子にかかわる人が減っていくという状況もあります。

しかし、現実には、専門家に任せておけないのです。現場に専門家が足りていないのです。神経外来も数カ月待ちだったりします。近所のかかりつけの先生も数分しか会ってくれません。医療も療育も必要だけど、その子のそばに専門家がいつもはいないということが問題になっています。ですから専門知識が十分でなくても、この子はどうやれば喜ぶか、どうやればうまくやれるか、よく見て知っているよということが必要で、それは、多分皆さんだろうと思います。専門家の話は、「なるほどねえ。納得」と思いますが、実際には、その子に対してなかなか通用しないことも多い。本当は、その子がどう遊んでもらいたいのか、何を受け入れたいのかと感じることが大事だと思います。

「園で、あの先生にわかってもらえなかった」というのが思い出にならないように。わかってもらえれば、きっと、よい保育園・幼稚園の時期を迎えて、その子なりのよい幼児期を送れるでしょう。保育が療育の一部を目指すのか、保育が保育であり続けるのか。健常児も、ちょっと気になる子も、みんなが園の中で「ふれあい」ということをキーワードにしながら、多くの価値観の中で、一人一人違うことを知っているのは皆さんだけだと思うのです。最後に皆さんに贈りたい言葉は、「良質な保育は療育を超えている」ということです。その中に、「触れる」「理解する」「愛着形成」という言葉が、フィロソフィーとして入ってくるとうれしいなと思いながら、お話をさせていただきました。

ありがとうございました。(拍手)