設立80周年記念 第35回母子健康協会シンポジウム(東京会場)
「保育における言葉とコミュニケーション」子ども達と保護者と共に育ちあいつながりあう保育
保育園の親子コミュニケーション(1)
社会福祉法人杉の子会エイビイシイ保育園園長 片野 清美先生
片野皆さん、こんにちは。今、前川先生よりご紹介いただきました、「社会福祉法人杉の子会エイビイシイ保育園」の園長と「エイビイシイ風の子クラブ」の施設長をやっています片野と申します。きょうは、本当にこんなにたくさんの皆さんにご出席いただきまして、ありがとうございます。
私より皆さんのほうが実績もたくさんあって、いろんなことをたくさん経験して力をつけている先生方が多いと思いますが、20分ほどお話しさせていただけたらと思っております。
きょう、ご出席の先生方は、昼間の保育園の先生、幼稚園の先生と伺っております。私の肩書とか保育園の実態を聞いたら、皆さん、びっくりされるかなと思いますけれど、私は、自分のやっていることは特別でもなく普通だと思っています。私、九州生まれなものですから、ときどき九州弁が出るので、ごめんなさい。楽しく聴いていただいたらと思っています。
社会福祉法人杉の子会のエイビイシイ保育園というのは、ベビーホテル全盛期、今から35〜36年前になりますか、そのころ、猫も杓子も、資格がなくてもベビーホテルを狭いお部屋の中でできていた時代でした。私もそのとき、ベビーホテルと言われながら、職安通りの一室で24時間の保育園を開所しました。私と職員2人で、泊まりがけ、また泊まりがけというのを、24時間365日、2年間続けました。
そういうのが実態でありましたけれども、みんなの支えがありまして、頑張って、頑張って、15年前、東京都で初めての24時間開所の認可園として誕生しました。それまでの18年間は、補助金なしで、無認可保育園として頑張ってきました。私は、九州で短大を卒業しまして、7年間、地元の私立保育園で保育者をやって、それから東京に上京して、24時間のベビーホテルとか言われながら頑張ってきたわけです。
18年間の無認可保育園を通して、私のポリシーである、子どもは昼も夜も、何においても平等でなくてはならないと。私がマンションの一室でやっていたときには、本当に夜働くお母さんたちが多く、子どもを預けるところがなくて、大変な環境で子どもたちは育っていました。いわゆるベビーホテルですね。私もその一つであったと思います。
その中で、いろいろ工夫しながら、行政と対応しながら、無認可保育園をやった中で、常に子どもたちは平等であることを考えて、昼間の子どもたちは保育園の中で恵まれているのに、どうして夜預かっているこういう子どもたちには、1円の補助金もないのだろうかとか、いろんなことで悩みました。
また、無認可をやっていて、お金がないのが一番こたえました。本当に大変だった。いくら無認可でいい保育をやっていても、行政は認めてくれませんでした。近くの認可園で子どもをたくさん預けているお母さんたちが、早くエイビイシイが認可になってくれたらいいね、夜間になってくれたらいいね、ということを待ち望んでいました。
それで私は、「絶対、東京の新宿に24時間の夜間保育園をつくり上げるんだ」という決意でずっと努力してきました。無認可を18年経験して、いろいろな方とめぐり合って、いい職員ともめぐり合って、15年前、地域の方々、職員、保護者、みんなで、東京に一つでもいいから公的な夜間保育園をつくろうではないか、ということで認可運動を始めました。そして、平成13年4月1日に法人格を取って、東京都でたった1カ所、23時間でスタートしました。
そのことでどんなメリットがあったかというと、先生たちの処遇もグッとよくなりました。子どもたちの処遇もとってもいい。何よりもよかったのは、お金がたくさんもらえました。無認可のときには、本当にどんなに頑張ってもゼロです。認可園になったら、平成13年の4月1日、通帳を見たら、一千何百万というお金が入っていた。これは天国と地獄の差だと思って、行政には報告しました。とてもうれしかった。
しかし、うちの理事長が言うには、社会福祉法人というのは、とても夢のあるような、すごく画期的な法人かなと思っていましたが、ふたをあけたら、いろんなことで縛られて、行政からひもつきのお金をもらっているのかなとか、そういうことを話したことも覚えています。
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