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小児科医50年を省みて

財団法人母子健康協会理事 東京大学名誉教授 鴨下重彦先生

プロローグ

一般に医者になるまでには生まれてから25年の歳月を要します。そこで先ず自己紹介を兼ね、生い立ちからの四半世紀のことを少しく記します。私は1934(昭和9)年北海道室蘭市に生まれました。その前年、昭和八年にはドイツでヒットラーが首相になり、日本は国際連盟を脱退しました。昭和13年、強い兵隊さんを作るため、内務省衛生局を中核に厚生省が設立されました。昭和15年が「紀元は2600年」のお祭り騒ぎの年で、小学校に入学、翌年国民学校に変わりました。これはヒットラーのVolksshuleに倣ったと思われます。その12月8日、真珠湾攻撃で大東亜戦争が始まりました。私たちの世代はみな軍国少年、1年生で教育勅語を暗記させられ、軍歌を歌い、高学年になると軍人勅諭まで憶えました。将来は海軍兵学校などへ行ってお国のために死んで靖国神社に祀られるのが人生の目的と教えられていたものです。しかし国力の差は如何ともしがたく、昭和20年8月、広島、長崎の原爆投下、ソ連の参戦によって、日本はボツダム宣言を受諾、無条件降伏となりました。国民学校6年生でした。8月15日正午、玉音放送の「耐え難きを耐え忍び難きを忍び」の昭和天皇の甲高い声は今も記憶に残っています。戦後数年間の物資の欠乏、とりわけ食糧難は、今日の日本の豊かさからは想像出来ないものでした。

GHQの指令により、ドラステックな教育改革が行われ、画一的に過ぎるという6・3・3・4の新制度になりました。男女共学になった新制高校を経て昭和27年北大一般教養部に入学、これもGHQの指令で新制大学の中で、医学部だけが旧制度を残すような格好で、教養2年終了後、入学試験があったのです。それで東大医学部に挑戦し幸い一浪後に合格したのでした。医学部の修業年限は4年、卒業して1年の実地修練期間(インターン制度)があり、その後筆記試験と口頭試問の国家試験があって合格、医師免許を手にしました。私は少数意見ですが、医学教育の抜本改革の一手として、この戦後の制度に戻すのがよいと今も考えています。

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