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小児科医50年を省みて

財団法人母子健康協会理事 東京大学名誉教授 鴨下重彦先生

50年前の世界と日本

医学部を卒業したのは1959(昭和34)年でした。この年の世界の主な出来事といえばキューバ革命があり、国連で「児童権利宣言」が出されました。またソ連首相フルシチョフの初めての訪米。彼は国連総会で演説し世界の軍備撤廃を提案しました。オバマ大統領は核兵器撤廃を提案しましたが、軍備の撤廃ですから、遥かに徹底していたのです。しかしフルシチョフ演説に対する米国はじめ世界の世論の反応は驚くほど冷淡で、殆ど無視されました。共産党のソ連首相の言うことなど信用出来ん、ということでしたか。

日本では昭和34年の最大の話題は皇太子のご成婚でした。また東海道新幹線の工事着工もこの年。総理大臣は岸信介、60年安保の時代で昭和35年6月15日、国会周辺で安保改正やアイゼンハワーの来日に反対する大規模なデモが行われ、その中で東大生樺美智子が圧死、アイク訪日は中止されました。実はその夜私は、「他にも大勢怪我人が出ているからすぐ来てくれ」という友人の呼び出しで、議員会館の前に行っていました。

今年はノーベル化学賞二人受賞で日本中が沸きましたが、50年前は物理学賞の湯川秀樹ただ一人だけ、なお昭和34年に田中耕一氏が生まれています。

当時日本の経済成長率は素晴らしく17%で岩戸景気と呼ばれました。

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