お子さんには、比較的伸びやかなお子さんと、おどおどと萎縮しているお子さんが居られます。前者の場合は、自分を全面的に受け止めてもらい大切に育てられて、満たされているのですが、後者は、保護されるべき時に保護されず、注意され、怒られたり、行動を抑制され、評価されていることが多いのです。自分が我侭を言っても、どういう状況でも自分を受け入れてくれる安定した大地がないお子さんは外に向かって活躍する事が難しいのです。
親はピッチャーではなくキャッチャーで有るべきと述べましたが、私の経験では、ご両親が(祖父母のことも)几帳面で完璧をめざして切磋琢磨しておられればおられる程、又、そんなお母さんが仕事を持っておられる程、御自分がピッチャーになりがちなのです。そういうご両親の場合、日常生活の計画性が高く、先が読めてしまいます。結果として、お子さんからの自主的申し出を待ちきれず、ご両親からお子さんへの催促が多くなってしまいます。お子さんの視点で考えると、「もう少しで結論が出せそうな時」や、「思いついたことを自分が言い出す前にご両親に先取りされてしまう」ことになります。その結果自分を認めてもらえないという不満足感も生じ、年齢によっては、悔しさも出てくることになります。
お母さんが外で働いておられる場合、ご自分が、「24時間常にお子さんの要求に応じられる状況」ではないので、忘れ物はないだろうか、1週間後の予定はどうなっているのだろうか、用意しておかなければならないものはないのだろうかと、あらかじめお子さんに問いただしたり、指示したり、極端な場合は自分でやってしまう……ということもありうるのだと思います。結果的にお子さんの自主性が育たず、思春期の自己同一性の確立の上でも葛藤が強く出る可能性があります。
さらに悪い事には、こういうご両親の場合、ご自分も相当努力された結果、現在の状況にあるにもかかわらず、そのレベルに到達するのは「自分達の子どもであれば当然」のような気になって、お子さんの感動への共感や、誉めることが少なくなり易いのです。子ども心に帰り、お子さんと共に悦び、お子さんと幸せを分け合い、お子さんを信じて待つことがとても大切だと思います。
「すぐ要求に応じていたら我儘に成るので躾のため放っておきます」という方が居られますと前述しましたが、このような能力の高い、基準の高いご両親の場合、しばしばお子さん自身も要求が高いのです。なぜなら、ご両親の資質を受け継ぎ、「違いが判る」すなわち「知的脳力が高い」ので、自分の要求水準が高くなるのです。しかし、同時にこれらのお子さんは、敏感なので、比較的速やかに両親の要求水準を満たそうと、とても良い子の役割を果たすようになる(過剰適応)こともあり、不定愁訴が出てくることがあります。できれば避けたいものです。