小児科医50年を省みて
財団法人母子健康協会理事 東京大学名誉教授 鴨下重彦先生
1980年代に国連では人類の将来を検討する委員会を立ち上げ、持続的発展 Sustainable development ということが言われました。その委員長はノルウエーの首相を務めたブルントランド(図2)でした。彼女は医師で、元は小児科医であったといいます。熱烈な禁煙主義者です。最近は「発展」はもう無理だろうと、「持続可能性」だけが強調されていますが、あるアメリカの社会学者によるとSustainable developmentとは、” Fewer people live longer with improved function” ということだそうです。これは優性思想に通ずると警戒する向きもあるが、事実でしょう。仮に現在の世界人口が皆日本人なみの水準の生活をしたら、地球があと3個必要だといいます。ともかくその実現には何が大切か。それは健全な次世代の育成しかありません。伝説的ですが、子どもの教育はいつから始めるべきか、と問われたナポレオンは、子どもの生まれる20年前に、その子の母親の教育から始めよ、と答えたそうです。日本の母性の問題として表2には人工妊娠中絶の推移を示します。全体の件数は減っていますが、10代の妊娠はパーセントにして10倍と増えており、これをどう考えるべきか、生命倫理の問題でしょう。子どもをめぐって何か事件が起こると、すぐに「いのちの尊さ」が叫ばれますが、虚しい思いです。
最近エピジェネティックスという領域の研究が盛んになっています。胎児期、お母さんのお腹にいる期間に、お母さんの飲むお酒、煙草、薬その他食品添加物などが、遺伝子のDNAの構造を変えずに発現だけ変えてしまうことがある程度証明され、子どもの行動異状や大人の統合失調症、生活習慣病の一部などが、発病との関連性を指摘されています。また細胞の中にはミトコンドリアという小器官がありますが、これは卵子にだけあり、精子にはありませんので、母親の存在が重要なのです。私は以前から地球環境の保全より、子宮環境の保全の方が大切だと、言い続けてきました(図3)。
平成13年に設立された国立成育医療センター(図4)は、今春から独立行政法人となり、「成育医療研究センター」と名称も変わりましたが、国として恥ずかしくない堂々たる病院です。因みにその総工費は600億円と聞いていますが、一昨年洞爺湖サミットで使われた国費や現在建設中の東京スカイツリーの建設費とほぼ同額です。私は以前から、国は子どもの保健・医療のために、もっとお金を使うべきだ、と考えてきました。政権交代によって、ようやく実現の見通しが出てきました。子どもたちの世紀である21世紀には日本の子どもだけでなく、世界の子どものために、何をすべきかが問われています。