昔と今では、食物アレルギーがどう考えられていたかということです。
1.江戸時代から国際小児科学会後位まで
江戸時代、「食あたり」という言葉がありました。これは食べた後に起こるすべての反応で、食中毒も何もみんな含まれていました。
1945年に日本が敗けて、戦後の混乱していた時代には、感染症とか、栄養不良とか、消化不良などの全盛時代で、子どもは生きるか死ぬかで、食物アレルギーとか、アレルギーなんていう言葉はほとんど聞くことはありませんでした。
東京オリンピックがあったのは1964年です。その後、国際小児科学会が東京で開催されました。それを契機にして日本の経済状態と公衆衛生が非常によくなって、乳児死亡率が著明に低下して、それまで主流であった感染症や栄養不良が影をひそめ、それと代わるように出てきたのが、喘息とか、アレルギーとかの前にはあまり問題ではなかった慢性の病気です。
2.食物アレルギーの最初の考え方
日本で、食物アレルギーという言葉を最初に唱えた人は、1970年前後に在任していました群馬大学小児科の松村龍男教授です。この先生が初めて食物アレルギーという概念を唱えたわけです。そのときの考えが、子どもが食事(抗原)を食べて、体に抗体ができて(感作と言います)、それによって反応が起こるという考えだったのです。
3.新生児—乳児消化管アレルギー
そんなことが議論されているうちに、1970年から80年にかけて、いままで母乳や牛乳も飲んだことがない赤ちゃんが、それを与えると、嘔吐したり、下痢したり、血便だとか、ショックを起こす症例が世界じゅうから報告されてきたわけです。そして面白いことに、中止するとよくなるのです。この状態を、アレルギー性腸炎だとか、食物蛋白依存性胃腸炎症候群とか呼ばれていたのです。そういうことがあったので、どうもお腹の中で赤ちゃんが感作されているのではないか、という考えが浮かんできたわけです。すなわち胎内感作の可能性が示唆されたわけです。この現象は胎内感作ではなく過敏症であることが後で判明しました。
4.特異抗体の測定が可能に
それが実証されないままに今度は1980年頃から、特異抗体の測定が可能になりました。卵なら卵、そばならそば、そういうものに対する抗体があるという検査ができるようになってきたわけです。それが皆様おなじみの、特異抗体のRASTスコアが5とか、4とかです。
特異抗体は、子どもだけではなくて、妊婦やお母さんたちも持っているんです。そういうことが契機になって、乳幼児の食事制限、妊婦の食事制限の全盛時代となったわけです。やっているうちに、過度の食事制限とか、どうも特異抗体値と重症度が比例しないとか、いろいろなことがわかってきたわけです。そういう矛盾とかいろいろなことを含めて、食物アレルギーをもう一回見直そうというのが今の趨勢です。ですから、きょうの先生方の話はそれが主な点になると思います。