財団法人母子健康協会 第30回シンポジウム 「保育における食物アレルギーの考え方と対応」
3.「幼児期の食物アレルギーへの対応」
あいち小児保健医療総合センター 中央検査部長兼アレルギー科医長 伊藤浩明先生
4.アレルギー食品へのトラウマ
子どもの食物アレルギーはだんだん治っていくことが多いです。先ほどの話にもありましたように、3歳まで来ると50%ぐらいの食物アレルギーは治ってきますし、保育園に上がってから卒園するまで、小学校入学までの間にだんだんと治ってくる子どもさんもいます。ちょうど大きな変動期です。
経口負荷試験で陰性とわかりました。それだけですぐに解除の診断書を書くことは、普通はしません。その後、何カ月間か家で十分、何度も食べて、「大丈夫だとわかりました」となって初めて、保育園の給食解除を少し進めてくださいとお願いをします。でもよくあるのは、子どもが「好きじゃない」「食べたくない」という。せっかく卵の負荷試験をやって、まる一個食べても平気だとわかったけれども、「玉子焼きは絶対食べようとしません。でも、カステラだったら平気で食べています」とか、そういう時期がどうしてもあります。これは子どもの心のトラウマだと思います。
そりゃあそうですよ。それまで実際に食べてお腹が痛くなったという記憶が、強烈に子どもに残っています。わずか3年、4年であっても、生まれた瞬間から「食べちゃダメなんだよ」と言われて育っているわけです。ある日突然、手のひらを返したように「食べてごらん」と言われて、スッと食べられる子のほうがむしろ少ないと思います。子どもたちはびっくりするほど慎重です。
家庭では、それがなかなか進まないのも無理もないなと思います。その部分に関して、給食という集団の場を通して少しずつでも、お友達と一緒に食べられてよかったねという経験を積むことも、もしかしたら子どもには必要な場面かもしれません。このあたりをどういうふうに対応しようかということは、現場の先生方とお話ししていても答えがないんですね。答えがないけれども、やはり皆さん、子どもさんの立場に立ってどういうふうに対応したらいいかということを一生懸命考えています。
これが、大きくなってくればなってくるほど難しくなってきます。例えば、卵・牛乳アレルギーがずっと続いていて、中学生ぐらいまで来た。「何とか少し食べられるようになったんだけど」というところまで行けたとしても、本人としては、「食べられないのが自分だ」というふうにだんだん固まってきてしまうわけです。周りから見ると、せっかく食べられるようになったのに、あるいは食べられるようになってほしいと思っても、中学生ぐらいになって、「いまさら食べることに挑戦しなくていいよ」というふうになってくることがあります。そういうときは、むしろ保護者の方のほうが焦っていますね。何とか食べさせたいと親が焦っている。
いま、かなり挑戦的な治療として、免疫療法というのをやることがあります。病院で、無理やりではないですが、症状が出てもある程度食べさせるという乱暴なことをやると、意外と食べられたりして、私たちはいま、びっくりしているところです。でも中学生になると、「そうまでして食べられるようになりたくない」というふうに言われます。本人をだまして説得してまで、中学生の子どもに症状が出る危険のある治療を勧められるかというと、私たちの立場であっても、そこまで勧められないという関係になってしまいます。
ですから、大きくなってせっかく治った時期に、「本当は食べたい」という気持ちをどうやったら残していけるかということが、除去を続けている最中にも、考えていかなければいけないポイントではないかというふうに、最近、よく思っています。
おっちょこちょいな子のほうがいいんです。おっちょこちょいで、隣の子が食べているおやつを取って食べちゃって、じんましん出た。「またやった!」といって叱られるぐらいの子どものほうが、結局、うまく治っていきます。それは大変だけれども、悪いことではないと思っています。でも、意外とそんなワンパク坊主ばかりではないので、どうしても後ろ向きになりがちな子どもに、いかにして将来治っていくということをイメージさせて、「大きくなったら食べられるようになるからね」という気持ちを持たせながら除去を継続するか、ということを考えていってあげたいと思っています。
そのあたりは、子どもさんを直接見ておられる先生方が、実はいろいろなアイデアをお持ちではないかと思って、いつもこういう会で、皆さんのいろいろ工夫をされていることを伺うのを楽しみにしております。
以上、時間ですので、お話を終わらせていただきます。ありがとうございました。(拍手)
前川ありがとうございました。きょうのお二人の先生の講演を聞いてつくづく感じたのですけれども、専門家の立場をむしろ控えて、子どもの立場でいろいろなことを考えているということに非常に感銘しました。
時間が来ましたので、総合討論をお楽しみにして、休憩に入りたいと思います。