2.アタッチメントと育て直し(4)

ボルビィも結局アタッチメントを考えたのは、第二次世界大戦という恐ろしい災禍があった後の子どもたちを見てのことです。そして、今で言えばPTSDの子どもを見たんだと思います。虐待もそうですけれども、PTSDの概念というのはご存じかと思いますが、ベトナム帰りの戦士たちが家庭内で暴力をふるったり、あるいは戦争のショックが残って不安で、あたり散らかしやすくなる、ということから始まった。今でも戦争は続いています。恐ろしいことを言っちゃいけませんけれども、今は、この会場で爆弾が仕掛けられてもおかしくないような、ある意味、潜在的にはワールドワイドに戦場である怖い世界です。

そういう中で、アタッチメントというのは、後で説明しますが、安定も不安もあったもんじゃない、ABC型どころじゃなくて、D型という、アタッチメントそのものがないような、枠組みがないものが生まれる世界が背景にあると思います。

アタッチメントの3つの形

  1. A型 回避型
  2. B型 安定型
  3. C型 アンビバレント型

それから、これは私の弟子筋の人を連れてくれば丁寧に説明してくださる、若い人はそこまで研究していますが、ルーマニア研究というのがありまして、それもやっぱり、チャウシェスク政権の崩壊後、親が殺されたり、遺棄された子たちのための施設での研究によって発達した。

悲しいことです。実は初めのアタッチメント研究は、大体放っておけばみんなB型、つまり安定した形になるということで、一回下火になった。だけど、虐待とかPTSDとか、そういう問題、さらに今は戦争の背景の中で、再び脚光を浴びるようになったという悲しい歴史が、実はある。

よい保育者というのは何か。それは普通の子どもを育てるということ。虐待の悲しい現実があると、それが脚光を浴びるのですが、皆さんの仕事というのは、普通の子どもを育てることです。普通が一番難しい。私は小児科で子育ての相談から始めたというのはラッキーだった。すごく壊れた子どもではなくて、普通の子たちを見た。共に見ていくとそんなに悪い母親も父親も居ませんでした。普通であることを私たちは見ることも出来なくなり、紋切り型の切り方しかできなくなっている。一見普通でない人に紋切り型で対応して、もどうにもなりません。そこからいかにして普通を見つけ出していくか、それが大切です。

あと、子どものよさは、子どもって前向きなのです。戦争中の地域に行っても、子どもってカメラを向けるとイエイイエイこんなことをやって、そんなことやっている場合じゃないだろうって言いたくなりますが、ああいう前向きに今を生き力を持っていて、こんなに大変なのに三日たてばコロッと元気になる、そういう側面を持っている。

それは我々にもあると思います。基本的に、動物とはよく言ったもので、生き物っていうのは動く。後ろに動く人はいないので、大体前に向かって動くというのが基本にはある。

もちろん、そんな気楽なことばかりを考えているわけじゃないです。くよくよしても仕方ないと吹っ切ったのです。気楽でない世の中であるからこそ、そういう側面というのが必要だなって。それがもともと持っている自己肯定感、それを雰囲気だけで引き出していく役割を持つ人、それが最終的にはいい保育者だと思います。何か自分の力で相手を引っ張り出すみたいなことを考えちゃうと、きつくなるんじゃないですか。それ自体が緊張した世界になる。

ニュースになる人、犯罪を犯す人って、非行もそうですけど、実は減っている。だけど、すごく不幸な事件が普通に見える人に起こる。外から見ると、人あたりが良くて普通にしか見えませんよね、今度のひどい虐待なんかはね。普通に見える世界が壊れていることが、数ではなくて、トピックになる。だから怖い。それはなぜなのか、我々の気づかないところで世界は壊れ始めている。世界はいつ破滅してもおかしくないことに満ち溢れている。それをこうした事件は刺激するのだと思います。

自分の中にもそれはある。よくお母さん方で、子どもをひっぱたいちゃったということでずっと悩んでいて、あまりに理想的なもの、できもしないものを要求されると、自分を責める親になっちゃうという気がするんです。私はよい親になれないって悩む人に、それを自分でもできないくせに、相談に来た相手に要求していると、理想化しすぎたものになります。その結果、先ほどのお話と絡めると、親としての自己肯定感を低めちゃうことになります。

前川先生、さすがにまたいいことを言われていましたけど、親も未熟なんだ、未熟児ですよね、だからね。まだ発展途上だという発想が、こちらも楽にする。

私の書いた育児本は、自分も子育てをしながら、人の子育て相談にも乗りながら書いたものです。『子育てカウンセリング「育てなおし」の発達心理学』を10冊持ってきたので、欲しい方は持って行ってください。

自分の二人の子どもはもう大人になってこの本に書いた方法が良かったか結果が出ています。あまり純粋に育てちゃったので、苦労があるみたいです。それぞれ福祉の仕事をしています。一人は特別支援学級。最初から特別支援学級の先生になりたいと言って不思議がられた。みんなに高き理想を要求しないし、障がいのある子の方が人間らしく自然であると知っている。親を見て育ったからだと思います。純粋培養され過ぎて苦労が多いようですが、それは構わない。でも、そういう子に育つということは保証つきです。お金持ちにはなれないかもしれないけれども、こういう人が生きていてよかったなという人にはなれたと思います。私の誇りです。

問題児というのは、問題を持っている人じゃなくて、問題を解くために生まれてきたんだっていう言い方があって、とても気に入っています。大変なんですよね、大変なんですけど、先ほど言った看護師さんの、そういう話ばかり聞いていておかしくなりませんかっていうのは、本当にそのとおりだと思うんですけれど、しかし、それを解いたときの喜び、できの悪い子ほどかわいいという、ちょっと言い方がひどいんですけれども、そういうことに通じるのかなと思います。