3.保育における愛着形成(4)

(2)働く母親の増加と乳児保育政策

1960年代から70年代にかけて、日本の経済は高度成長期を迎え、中卒労働力不足を補うものとして、女性の労働力活用策が展開されていきました。現在、女性の労働力確保と保育所政策はセットになっていますね。赤ちゃんから、あるいは1歳から保育園に預けて働きたいという母親の要求に応えようと、安倍政権も待機児童解消に一生懸命になっていますね。ですから東京都23区の場合、すごい勢いで保育園が増えております。

しかし当時の政財界の女性労働力政策は再雇用政策でした。キャリアを積んで働き続ける女性像ではなく、結婚して子どもをもてば女性は退職する、子育てが一段落した主婦を再雇用して安上がりに使うというのが、わが国の基本的な女性労働力政策でした。

ここでみなさん、この女性労働力政策と3歳児神話がうまくリンクしているとお思いになりませんか?世の母親たちは、ボウルビィの「母性的養育剥奪論」の影響を受け、母親の育児責任を果たすために仕事をやめたほうがいいと思い、また思わせられて退職する。そして政財界は「手がすいたら再就職しよう!」と誘い出すわけですね。しかしいざ再就職しようと思うと、以前やっていた仕事には就けず、こうしたご時勢の中で、「就労を継続するために乳児保育を求める…」ということは大変なことだったわけです。しかし働き続けたいと願う母親たちは「職場保育所」「無認可共同保育所」つくり運動に取り組み、自治体の保育責任を求めて「公立保育園設置運動」を展開していきました。その動向に対して国は、1968年「小規模保育所の設置認可について」、1969年「保育所における乳児保育の強化について」(厚生省)、同年「保育所における乳児保育対策」(中央児童福祉審議会)等、一定の乳児保育対策を講じます。しかし乳児保育を低所得者層に限定し、産休明けからの受託を否定するなど女性の職業継続に資するものとはほど遠いものでした。

J.ボウルビィ「母性的養育の剥奪」論の影響

しかし時代は徐々に動いていくものです。私が25歳で母親になり、私の子どもたちが成人するまでのこの20数年の間に、日本だけではなく国際的な取り組みとして「男女のあり方」についての論議が巻き起こりました。1975年の「国際婦人年」を皮切りに、「男女の性的役割分業」を見直す大きな国際的な潮流が引き起こされていきました。「国際婦人10年」は10年をかけて男女の役割を見直そうという取り組みでしたが、その間に「女子差別撤廃条約」に合わせて、それぞれの国が国内法の見直しを行いました。わが国でも「男女雇用機会均等法」「育児休業法」「男女共同参画社会基本法」などなど、男女の位置や役割を「対等性」をベースに「男性も女性も仕事と家事育児をする」ものとする理念が提唱され、実際的な取り組みが世界中で展開されていきました。

「職業と家庭の両立支援策」と乳児保育
「家庭生活と職業生活の両立」と社会的サポート

こうした大きな潮流の中で、1990年に25年ぶりに「幼稚園教育要領」「保育所保育指針」の改訂を迎えました。その際、わが国にはまだ「育児休業法」が成立していなかったので、男女が平等に働き続けるための手段として、産休明けからの乳児保育を制度化しなければ国際的に立ち行かなくなったのでした。そんな事情が反映して「保育所保育指針」の中に乳児保育(第3章6か月未満児の保育の内容)がきちんと位置づけられ、子どもと大人の関係を重視する保育の方針が打ち出されました。その後貧しい家庭の子どもだけに限定していた乳児保育を一般化し、どの階層のお子さんでも乳児から預けていいという方針が出されます。それはなんと1998年になってからのことで、まだ20年ほど前のことに過ぎません。