2.アタッチメントと育て直し(6)

次は思春期とは何かの定義です。

思春期ってほんとうにちょうど分岐点なんです。思春期って、まだ昔のことを振り返ってやり直しができる、だけど、すごい大変ですね。思春期の子どもって、小児科で経験したのは、これ、だめじゃないかというぐらいこちらを困らせるんです、さんざん困らせた挙げ句、よくなるのです、コロッと。ケロットと言った方がいいです。その辺が醍醐味です。

だから、思春期にうんとヤンチャをやった先生とか、私は実際のヤンチャはやっていないと思うけど、メンタルの中では、心の中では相当なヤンチャをやったので、大体わかります。こいつ、俺がやりたくてやれなかったことをやっているやつだなと。(笑)お母さんたちを見ても、自分がヤンチャをやって、ずっとヤンチャをやっていたら困りますが、それを収めた人のほうが対応は上手です。妙に長引かないで、コロッと転換するコツを知っていることが多かった。

次です。

これもこのパンフに書いてありますので、ここで安心感をというお話が出ましたが、思春期の子どもって、突っ張っているけど、ものすごく弱いんです。

次は、ポジティブなものに転換していくということです。

例えばどろんこ遊びって嫌ですけど、一緒になって、みんな汚れてもいいようなセッティングをしてからやると、すごく楽しく、大人もやる楽しい。親御さんの話が出ましたけど、砂で汚れるのが嫌な親御さんを、子どもと砂場で遊ぶのに一緒に遊ばせたら、「お母さん、やめてください」って言いたくなるくらい熱中した。事情を聞いたら、そんなことやったことがないお嬢様として育てられた、そういうことがありました。

次は、「ミルクとしての解釈」というので、とても印象的だったんですけど、小さいころに正妻さんのところに引き取られて、正妻さん子どもが産めなくて、この子と暮らすことになった。憎いでしょうね。この正妻に土間に投げ捨てられて、それがトラウマになったという方でした。私が「しゃべり過ぎですか」って聞いたら、「ううん、ずっとしゃべっていてください、先生の言葉はミルクみたいです」って言われた。これがすごく印象的だったんです。考えてみると、これが「育て直し」ということを考え始めたキッカケかもしれません。お母さんが言われたのは、4歳のときに気がついたら空が見えて池に飛び込んでいた。多分自殺をした、4歳の子がね。それにこの人自身は気づいてない。こちらが気づいた。多分モンスターペアレントとか、そういう人々というのは、許すとか許さないじゃなくて、多分本人たちは自分がしていることが相手をどう傷つけているかということに気づいていないと思います。それを我々が変に受けとめちゃうから辛くなる。そして、やっぱりいい親になるべきだと我々は頑張っているわけですから、その人を責めてしまって、結局最悪の事態になり、両方の関係がどんどん壊れてしまう。そういう関係になると、理解してもらうということが成り立たない。

ですから、お金を取って、その部屋と時間を決めてやるというカウンセリングがあるのです。でも、幾らカウンセリングが上手だから、好きだからといって、一日やったらうまくはできない。時間決めでやるというのは、そういう意味がある。両方とも、ある意味、背景を抜きにして語れる時間、できないことを、「ああだこうだ」と言っても楽しくないですよね。でも、二人の間で話す時間が楽しければ、その人ってよい方向へ変わっていくというのも、これも経験的に言えることです。お説教しても意味はない。それよりも話すことってこんなに楽しいんだっていうことが大事、お母さんが職員との話を楽しく聴く時間を持つことが大切です。

難しいですよ、現場の中では。それは百も承知で、カウンセリングの時間だからできるんでしょう。でも、あまりそういうことを言っても、しょうがない。一時間の時間であっても、楽しい時間を、その人は今までそう言う時間の経験は、きっとなかったのでしょうから、そういう時間を作ってあげた方がいい。種をまくという言い方が聖書にありますけども、皆さんの仕事は種をまく仕事なのだろうなと思います。

保育園の先生方は、自分がやっているすばらしいことに多分気づいていないと思います。日常のことって、我々は全部忘れてしまっていますけど、それを作ってあげているということを言いたい。

育て直しの発達心理学とは

  1. (1)思春期相談で、子どもの依存や拒否に対して、親身になって助言をすることは、
    一見何でもない当たり前のことのようであるが、
    ちょうど乳児期に、母親がミルクをあげたり、お風呂に一緒に入ってリラックスして楽しんだり、子どもの分離不安をイナイ・イナイ・バーでいやしたり、いわば母親が子どもの心に「おいしいものを作ってあげる」感覚に似ており、相談にのる人は、こうした感覚で接することで、子どもの不安を取りのぞき、子どもを支える人になれることを示している。
  2. (2)子どもの拒否や攻撃に対して即、反応してしまうのではなく、大人が意味不明の幼児の言葉に耳を傾けたり、
    その自由な意味不明の行動に付き添ったり、
    意味がよく分からなくておろおろして思春期の子どもに優越感を与えたりというように、
    目の前にいる思春期の子のことを「心配してあげること」自体が治療的な意味を持つことを示している。
    思春期の子どもはこうした相談者の行動を見て、自分が受け入れられていることを知り、深い安心感を得る。
  3. (3)相談を受ける人は、こうして得た信頼をもとに、小さな子どもの質問に答えたり、
    共にお絵描きのような行動をして子どもっぽさに付き合ってあげたり、
    例えばキャッチボールをするような感覚で、思春期の子どもの中にある不安をサポートしていくことができる。
    これを表では「見立てと道具案内」と表現。
  4. (4)グチャグチャでまとまりのない子どもの遊びを見守る人のように、こうしたドロドロした行動に対して、その行動の持つ意味を解釈してまとめあげ、
    自分でも自分の行動が分からなくなっている子どもの、欠けた部分や言葉にできない部分を「埋めて」あげる。
    こうした共感力と表現力が思春期の相談に要求される。そして、一見汚いどろんこ遊びや、グチャグチャのなぐり書き(スクイックル)の中に、いかに大きな創造性が潜んでいるかを見付け、その子の絶望感やコンプレックスをポジティブなものに転換してあげる、そういう感覚とセンスが必要とされるのである。