4.総合討論(3)
井原
私は、楽しい人生だったというふうにお話ししましたけども、前川先生の「縁」といっては何ですが、小児科なのに全体の雰囲気がとてもよくて、私は早稲田大学を出ているんですけど、東京慈恵会医科大学を母校と考えるぐらい、雰囲気がよかったですね。
だから、そういう中で育てられたんだなというふうに今日気づきまして、いろいろ悪いことが、私が始めたころから、親に問題があるんだよねというふうに一般的には言われていたので、ところが、お会いすると、全然そんな感じがないんですよね。
私も親になって、子どもを育てながら、何か両方で、私は商人の子どもなので、けちなのか、やっぱりもうけたほうがいいというふうに、幾ら批判したって、そこから何も生まれないので、そんなふうに一緒に育ち上がっていくほうが絶対お得だというか、そういう感じでやってきたんだなと思います。
あと、長くやっていると、やればやるほど、そのよさというのは、経過がだんだん見えてくるんですよね。だから、お母さんとかお父さんというのは、先がどうなっていくかということが見えないみたいで、そこが一番心配されていて、それは例えばボウルビィの、先ほど諏訪先生、懐かしく出てきましたけど、預けたり何かやっていたら非行少年になるよって、それは根拠がないですよね、ほぼね。ということで、後で否定されたり、大体ああいうはやった思想というのは、後に学術的に否定されていても、それは伝わっていかないんですよね。
だから、やっぱり諏訪先生の話を聞いていて、前川先生も現場で、私も現場でやってきたほうなので、そういう理念とかね、3歳までは母親がという、それって私は、最近、聞くと気持ちが悪いですけど、ということで、それって個人主義の考え方ですし、社会を閉じたものにするし、インターネットも最初はすごく、今、前川先生も触れられましたけど、みんなが簡単につながるというものだったはずなのに、タコつぼ化していますよね。許し合える、許可をもらった人だけが何をしているって、それ、全然つながっていなくて、異質の人とはつながらないというか。
もう一つ考えましたけど、事業の宣伝みたいになっちゃいますが、慈恵大のよさというのは、変わった人を受け入れるふところの深さがあって、そういう人が後におもしろい人になっていくというか、そういう人々って、別に変わった人じゃなくて、実際、現場で物を見ていた人、それは私も前川先生も諏訪先生も、特に今日、諏訪先生の全体像を初めてお聞きして、共通しているところじゃないかなと。
皆さんにそうやって諏訪先生は伝えかけられていましたけど、現場で見たことっていうのは、時代が変わろうと理論が変わろうと、変わらないんですよね。そこに自信を持って、かつ、頑張れば頑張るほど自分が先が見えてくるので、私はお母さん方に、私は別にいろいろなことを知っているわけじゃなくて、今まで会ってきたお母さんたちの交通整理をして次の人に伝えているということをよく言っていたことがありますけどね。年齢がいけばいくほど、楽しみですよね。年をとっていく、経験を積んでいく楽しみというのを。
それから、矛盾していますよね。3歳までは母親がと言いながら、労働力として駆り出すというか、そういうごまかしっていっぱいあるので、現場で見たことというのが一番大切なことなんだなと。それをもってすれば、そんなに母親と話していて厄介だったなと、もちろんそういう方もいらっしゃいますけど、そこは一歩下がって、自分がこの人を受け入れる度量がないかなというのを考えてみることもやりました。
こういういいことばかりしゃべると、楽な人と会ったんじゃないかって思われるかもしれませんけど、そんなことはないんですよ。そうではなくて、自分の枠を広げていって、そうすると、自分の子育てがとても楽になりましたし、という感じですね……、と思います。
ということで、ここまでにしたいと思います。