4.総合討論(4)

前川

それでは諏訪先生。

諏訪

私もお願いする側の母親でもあったので、大変な母親だったのかもしれないですけれども、私はほんとうに先生方に助けられたなと思っています。

無認可共同保育所のときには、たまたま妹の結婚式がありまして、赤ちゃんをどうするか。大変だったわけです。そうしたら、「私が家に連れていって一晩面倒見てあげるから」とか、「留め袖も貸してあげるわよ!」とか、ほんとうに公私ともども親身にいろいろお世話になりました。そのときの先生方は、一人はバスの車掌さんから共同保育所の先生になった無資格の方、もう一人は夜間の保育学校に通って資格を取るというingの先生でした。

でも、今思い出してみますと、ほんとうにハートがある先生たちだったわけですね。要するに、バスの車掌さんがなぜ保育園の先生かということなのですが、自分の子どもも預けて保育料を出せば、何も残らないのに・・・。無認可共同保育所ですから、賃金は安く苦労は大きいのに、なぜ保育者としてそこを支えてくれたかというと、妊娠してバスの車掌をやめなければならなかったという女子労働者としての悔しさなんですね。だから、お母さんたちが働き続けられるように支えていくという気持ちが彼女を無認可共同保育所の先生にしたのだと思います。

だから、私は、素敵な先生に出会ってきていますので、有資格、無資格にあまりこだわらないで、誰でもいいじゃないかという思いもあります。ただ、集団的にたくさんの子どもさんのお世話をしていく、保育をしていくとなると、やっぱり一定の保育理論とかある保育方法論とか、そういうものにも習熟した、専門性というものも必要になってくるわけですね。

これは私が共同で研究していた園で出てきた事例ですけれども、「うちの子には絶対に半ズボンを履かせないでくれ」というお父さんがいたわけです。そこは父子家庭で、怪我なんかされたら大変なわけで、絶対に半ズボンを持ってこないわけですね。でも、子どもにしてみたら半ズボンを履きたい。園のものを履かせることもできるけれど、子どもがしゃべったら、すごいトラブルになるわけですね。それをどうやってお父さんにうんと言わせていくか。その園では、子どもを半ズボンにして、怪我もしないで明るくやっている姿を小出しに伝えていく方法をとりました。子どもが集団の中にきちっと位置づけられ、受け入れられていく姿を語ることによって、お父さんもしぶしぶながら納得したというか。

もう一つ、井原先生のご専門ですけれども、子どものお気に入りのもの、『ぬいぐるみの心理学』ですが、子どもはお気に入りのものを持って登園したがりますね?大きい子どもですとポケットの中にそっと入れていたり、小さい子ではぬいぐるみを持ってきたり…。先生方はその場合どうされます?取り上げますか?

そこに保育理論を照射してほしいのです。そこを先生方の専門的な目で見直していただきたいですね。私が印象深いのは、ハンガリーの保育園で一週間ほど観察に入れていただいたことがあるのですが、子どもが持ってきたものをちゃんと子どもが見えるように並べておく棚があったんです。ある子は乳首、ある子はぬいぐるみ、ある子はバスタオルの切れ端とか、そういう子どもが大事に抱えてくるものをみんな並べてあるんですよ。そして、子どもが眠くなったころに、ちょっと乳首をあげると、ちゅちゅと吸いながら眠りについていく…いい光景ですよね。

なかなかハッピーでしょう!?取り上げられたら、わっと泣く。先生たちはわざわざ子どもに意地悪しているわけですねなぜ取り上げるかといえば、先生方が迷惑だからです。ハンガリーの園では、これはとっても大事なものだから、ここに置いておきましょうねと子どもの気持ちを受けとめる、そのひと工夫だけで泣かせないで済むし、子どもを親切に受容できるし、それが「移行対象」という保育理論に添うことになるわけですね。

今まで当たり前と思ってやっているようなことをちょっと変えていくためには、保育者の専門性も大切ということです。このものが子どもにとってお母さんがわりを果たすいかに大事なものかと知れば、むげには取り上げられない筈。井原先生によれば、子どもと親が分離して、親のイメージが子どもの心の中に住み着くようになるまでの間それが必要になるということですけれど、それはやっぱり保育理論、子どもの発達論なんですね。

ですから、そういうものは、保育者が単に人柄がいいだけではなく、集団の保育に責任を負う保育者の学びとして、子どもの気持ちに沿った保育が展開でき、そして親御さんもそこから学ぶことができるような保育者になっていただきたいと思っています。

ありがとうございました。