3.保育における愛着形成(3)
私が預け始めたときに、バーンともろにぶつけられたのが「保育7原則」でした。ここをご覧ください。
第1から第7までの原則のうち、「両親による愛情に満ちた家庭保育」、「母親の保育責任と父親の協力義務」、「保育方法の選択の自由と、子どもの、母親に保育される権利」等々第6原則まで「家庭で育てるのが一番」という家庭第一主義で貫かれていました。第7原則になって、やっと集団保育というのが出てくるのですね。こういう時期に私は母親になりましたから、バッシングがあっても当然で、大変な時代だったのです。
この家庭第一主義がどこから来ているかを調べたら、そのバックボーンをなしていたのがジョン・ボウルビィさんだったのです。井原先生が先ほど、戦争とアタッチメント研究は非常に深く結びついている、悲しい理論だとおっしゃいましたが、J.ボウルビィは、世界保健機構(WHO)から委託されて、第二次世界大戦の中で親を失い、施設で育てられている子どもがどういう影響を受けているかを明らかにするため、膨大な研究データを集めて分析し、「母性的養育の剥奪」について理論化したのでした。
それによれば、「どんなに滋味豊かな栄養を与えても、あるものが欠けると絶対に子どもはまともに育たない」、「それが基本的な精神衛生なのだ」ということなのですが、その子どもにとって基本的な精神衛生になるのが「母性的養育」いうことなのですね。
母性的養育とは何かといいますと、乳幼児と母親(あるいは生涯母親の役割を果たす人物)との人間関係が、親密で継続的で、しかも両者が満足と幸福感に満たされている状態。これが基本的な精神衛生だというわけです。「親密で継続的で、しかも両者が満足と幸福感に満たされている状態」を創出し続けるのは難しいですね。その子のためを思って本気で手を尽くそうとする人がいない限り、心を尽くし慈しみたいと思う人がいない限り、これは成り立たない。これだけ虐待が増え続けている時代ですから、これがどんなにか難しい課題か、お分かりになると思います。
当時、私は、基本的には「母性的養育」の必要性に心の中では同意しながらも、そうしたら自分が負けてしまう、共働きを続けるためにはもっと突っ張っていかなきゃいけない!というふうに思っていました。
苦しい思いをしていた私は、何かいいことを書いている先生はいないかなと思って探し当てたのが、小嶋謙四郎先生の『母子関係と子どもの性格』という著書でした。先ほど井原先生が小嶋謙四郎先生の仮説をお出しになられましたが、同じ先生です。私は「早い時期に母子関係が希薄であれば子どもの性格が歪む」という説に怯え、二つの非行の卵を抱えているみたいな恐れもあってその本を手にしたのでした。今もその本は本棚にあります。
「モノトロピー」と言いますが、その当時は、「唯一絶対特定の一人の人との愛着形成」から始まるというものでした。私は子どもが「同時に二人とか三人の人を好きになる」という説はないのかしら?と新しい理論を求めていました。家で見ていても、子どもは多様な人に懐きます。母親はいの一番に好きだけれど、父親にも、実家の母にも、それから嫁ぎ先のおばあちゃん、おじいちゃんにもなついている。だから、そういう理論があってもいいのではないか。親も大好きだけれど保育所の先生も大好き!というふうになれば、3歳児神話に苦しめられずうんと楽になれる!と思いました。現在では「ダブルアタッチメント論」とか「ネットワークのアタッチメント論」等に発展していると思いますが、それらを探し求めて小嶋先生の本を繰り返し読みました。しかしそこにはスパッとした答えは書いてありませんでした。が心に強く残ったことは、「アタッチメントが子どもの自立のためにものすごく大事なものだ」ということ、それから、「子どもが保育園、幼稚園に入ることで人間関係がぐっと広まる、園は子どもにとって貴重な場である」と強調されていること、さらに「乳児に与える効果についてはこれといった目ぼしい研究は行われていない」と断言されていたこと、でした。小嶋先生が乳児保育の現状を非常に客観的に示されていたので、私はかなり救われた感じもしました。その先生が井原先生の指導教官・ゼミの先生だったのですから、ほんとうに奇縁といいますか、ご縁をいただいていると思います。