冨田今、お話を聞いていると、本来は家庭や隣近所で自然になされていることを、改めてボランティアとか、家庭以外のところでしなければいけない時代というのは、何処か狂っていて、大変な時代だと思います。タッチケアでも、本当だったら、そんなことわざわざしなくて、お母さんがおっぱいを飲ませて、抱いて、負んぶして、手を繋ぐという普通の子育てをしていれば、触覚は十二分に与えられると思うのですが。
前川当たり前のことですよね。
冨田子どもというのは、ビデオなどで凝った話を映像や音を加えて見せるよりも、お母さんやお父さんが、昔話の単純なのでも、話の中にわが子の名前を入れるような工夫をして話すと、よっぽど喜び、楽しみます。何回も同じ話を聞きたがるものです。
これは正高先生にお尋ねしたいのですが、スピーカーから出る音と、お母さんの吐息といいますか、お母さんの息遣いや好ましい匂いと共に話される方が、それこそ感覚的に子どもに好ましいのではないか?と思うのですが、いかがでしょうか?正高先生はその辺を研究されていないのかな?と。
正高いや、したことないですけど、それは普通に考えると、アニマシー(生物性)と言うんですかね、生身の声のほうが好まれるのが普通なんですけど、今の子どもはどうですかね? 逆かもしれません。むしろ人工的なもののほうが好きになっているかもしれないですね。スピーカーから流れてくる音、モニター上のフィギュアのほうが好きで、あまりに生々し過ぎるものは、逆に言うと……。
冨田それはおかしいですね。
正高例えば、生ものの魚がくさいというのと同じような感じで、吐息がくる、あるいは、におうのがむしろ汚らしいというふうに思っている感じもしますね。